物質的豊かさと精神的豊かさは反比例の関係にある

"物質的豊かさと精神的豊かさ"

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この2つの存在に初めて気が付いたのは、
大学2年生の時。

ボランティアをしにインドへ行った時だった。

当時、大学で貧困問題について学んでいた。

外では蝉が鳴り、
コンクリートからはもやもやと熱気が上がっていた、
暑い暑い夏の日。

「こんなにクーラーの効いた部屋で貧困問題を学んでいる。
表面的に学んでいても、深くは学べない。」

と授業中ふと思い、

地球の歩き方 ボランティアツアー」に一人申し込んだ。

同じく一人でツアーを申し込んだ仲間たちと共にインドへ向かった。


デリーの街についた瞬間、日本が世界のすべてではない、と五感で感じていた。


においも見た目も音も暑さも、すべてが全く違う。

自分の常識や日本の常識が
世界の常識ではないことを感じ始めた。


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その当時私が感じた、

「物質的豊かさと精神的豊かさの違い」はどういう風に捉えていたか。

当時の私は、
インドで印象的だったシーン。

それは、沢山のものはなくとも、
ありのままに生きているように見えた姿だった。

丸出しに干される肉。無邪気に走り回り子どもたちの笑顔。
生と死がありのままにあるように感じた。

一方で、これほどにも物が溢れていながら、一向に完全には心が満たされなかった自分がいた日本という場所。

電車の疲れ切った大人の表情、習い事に忙しく遊ぶ暇ない子どもたち。

何重にも包装されて元がどんな形かさえ分からないスーパーの肉。

生と死がほぼ見えず、まるで隠されているかのように感じた。

それが日本を帰ってきたときに感じたことだった。

そう思う私はどこか、
精神的豊かさのほうが良く、物質的豊かさは悪い、という風にも
正直感じていた。


そして、同時に
私が見ているインドと日本のごく狭い世界、
限られた場所を全てだと信じ込んで極端に比較していたこと、

自分のフィルターを通して世界を見て、それが正しいと信じていたこと、

しかし、そんな私も感じる心 / 感じ取る心、慈愛の心を持って誰かの助けになりたいと親の反対を押し切りインドへ行ったこと、

それさえ今では愛おしく思えるようになった。

自分が時と共に、その時間を共有する人々が変化し、

自分自身が変化し続けていること、

すべてに心から感謝している。

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今朝、「豊かさ」についての映像を見た。

「豊かさ」とは何だろう。

どういうことに対して、豊かだと感じるのだろう。

約6年たった今、何となくわかることがある。


私は今豊かさを感じながら生きている。
それがどんな豊かさというと、

衣食住があることを幸せだと思える心があり、

その中で出会う人々、一緒にいる人々がいて、

美しい自然を味わう心があって、太陽が、空が、雨が、緑が、根が、葉が、
ありがたく、美しくて、

携帯電話やパソコンなど想いを届けるツールがあって、
想いを共有する言語が使えて、、

書ききれないほどに感謝することがあること。

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そして、それらに対して、

「なんてありがたいんだろう。」
「なんてすばらしいんだろう。」

って感謝や愛情があふれだす時、
とてつもなく豊かさを味わい、
感じているのだと思う。

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それは、きっと昔外にその豊かさを求めてきた(物質的豊かさ)
それだけでは満たされるものではなかった。

私の中にあった答え。
私の中の小宇宙の存在。

私自身との内面の対話が始まってから、
形には見えないけれど
大切な沢山の存在が "すでに在る"ことに気づいて、

そこに在ること、
それを味わえること、
それと共に生きていること、

それ自身の喜びを感じられるようになって、

初めて精神的豊かさの本当の意味に気づいたような気がする。

何を探していたかもわからなかったけど、
心が満たされる「何か」をずっと探していた。

でもそれはもうずっと"在った"。

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そして、今の私の”精神的豊かさの本当の意味”は
これからもまた様々な出会いや学び、気づきを通して、
更新され続けていくのだと思う。

そして、溢れていた不要なものを捨てて、
シンプルになってきた今。

物質的豊かさは、
自分が本当に好きで側に置きたいもの、
むしろそれらは少ないのが良くて、

精神的豊かさは、
物質に満たされることから解放されて、
すでに在る豊かさに気付き始めて、
どんどん膨らんでいく。

この物質的豊かさと精神的豊かさは
反比例の関係にあるんじゃないかな。

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