読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どんな世界で、どんな自分として生きたいか

ぽつりと心で呟く。


"美しいものが増えたなぁ。"


雨上がりの公園
雨の雫が光るジャングルジムやシーソー
子どもたちが心躍らせ
大地を駆け巡る姿が浮かんでくる

日が射し
きらきらと優しく光る
草や木々
小さな花

恵みの雨を
大地から味わい
その葉の上に
花びらの上にのせて
ただそこに在る

「世界は自分中心で回っている」

今まで私の中で、
この表現に対する意味合いは、

ネガティヴな意味での自己中心的なものを捉える時に
見聞きしてきた。
自分もそういう意味として認識してきた。

けれど、

世界は本当によくもわるくも
自分を中心に広がっている。

というのは、
心の捉え方の視点で見たら、
自分の見るまま、その通りに広がっているように思えてくる。

例えば、雨。

ただ感情もなく降る雨。
ただ空から降ってくる雨。

それは恵みの雨か、
泥を落とす清らかな雨か、
それとも面倒を増やす厄介な雨か、

それは私が雨をどう捉えるかで初めて、
私にとっての雨の存在が意味を持つ。

昨日の雨は、
心まで鳴り響く美しい音色の後の
自然の音楽としての雨、
そして肌が濡れる、冷たい、
私は生きてる、
と感じさせてくれる存在である雨

私は雨が好き
晴れも好きだし、
曇りも好き。
雷もエネルギーが好き。

でも1番好きなのはやっぱり晴れ。
無条件にみんなを笑顔にしてしまうから。


感情もなく、
ただ存在するだけの雨をそれだけ
様々な意味合いで捉えてしまう

そうしたら
より複雑で感情もあり
成長もでき経験もつめ、
変化だってできる1人の人間を捉える時
どうなるのだろう

「この人はこういう人」
と捉えてしまうことは
氷山の一角をみて判断しているだけに過ぎず、
無意味なことだと見えてくる。

そして、
「こういう人と思われたら」
と分かりもしない他人のラベルを恐れて
生きていくことが無意味だと
私は同時に同じように捉える。

自分がどういう世界で生きたいか。
どういう自分で生きたいか。
それがすべてを物語るのではないかと思う。

f:id:tomotomy:20151109104411j:image